推し文化の正体と好きとの違い!
「推し」とは何か
いわゆるスラングのひとつですが、あまりなじみがない人に簡単に説明します。その発祥については、AKB48のファンの間で使われだしたのがはじまりではないかと言われています。
応援する=推す
自分が応援しているメンバー=推しているメンバー
これがどんどん省略されて、
推しメンバー ⇒ 推しメン ⇒ 推し
となったと考えられます。すなわち「推し」とは、「自分が応援しているアイドル」を指す名詞ということですね。
「私の推しは◯◯さんです」
という言い方の他に、
「私は◯◯推しです」
とも言ったりします。ジャニーズのファンには、
「私は◯◯担(=担当)です」
という類似表現もありますね。
「好き」とは違う
この「推し」という言葉、いまではアイドル文化の外でも幅広く使用されています。特に漫画やゲームのキャラクターについては、「好き」よりも「推し」という表現をすることが多くなっていると感じます。
「好き」と「推し」は似て非なるものです。「好意」であることに違いはないのですが、矢印の長さや方向性などが違います。
「好き」の場合
・相手との距離は、短ければ短いほど嬉しい(=できるだけ近づきたい)
・相手にも自分に好意を持って欲しい、そうでないと悲しい(=双方向を望む)
・1対1の特別な関係を望む
「推し」の場合
・相手との距離は、近ければ嬉しいが、遠くても良い
・思いは一方通行でも構わない
・1対多数でも構わない
「推し」に望むこと
推し文化が浸透しているジャンルにおいて、「好き」は相手と自分が特別な関係で結ばれる、つまり恋愛関係になることを望んでいるような状態です。「推している」ではなくあえて「好き」と主張する人は、「ガチ恋勢」などと呼ばれたりします。これは、アイドルに対して本気で恋をしている、という揶揄を含んでいます。
では、恋愛を望んでいないとしたら、ファンは「推し」に何を望んでいるのでしょう? 私の場合はこんな感じです。
・推しの夢が叶うこと
・推しの成長、健康、幸福
・あわよくば、その様子を少し離れたところから見ていたい
・あわよくば、その姿を記録して生きる糧にしたい
……お前は親戚のおばさんか?みたいな望みばかりですが、本当にそうなんです。「推し」が頑張る姿や嬉しそうな顔を、いつまでもそばで見守っていたい。それが自分の元気の源、人生の潤いなのです。
これが、誰かを「推す」ということの本質だと思っています。
オタクを書いたコンテンツ「オタコン」について
ここ数年、「オタクを描いたコンテンツ」をよく目にする。
twitterからあまりの人気ぶりにより書籍化までした『腐女子のつづ井さん』(2016)、地下アイドルのトップヲタやアイドルの頑張りを描いた『推しが武道館いってくれたら死ぬ』(2016)(大好きです)、『ネト充のススメ』(2015)、『海月姫』(2009)、『浪費図鑑』(2017)『メタモルフォーゼの縁側』(2018)と、枚挙にいとまがない。オタクという存在は「漫画」「アニメ」「ゲーム」「アイドル」といった「コンテンツを愛するもの」だったのに、今は「コンテンツを愛するものを描いたコンテンツ」が増えているのである。なんだかメタな話だ。
なぜ今「オタクを描いたコンテンツ」(以下、「オタコン」とする)が増えているのかについて考えてみたい。
(※上記()内は書籍1巻発売年度です。)
目次
オタクに対するまなざしの変化
「オタクを描いたコンテンツ」の魅力
①オタクは読者(視聴者)よりも下等な存在であり、かつ謙虚である(ように描かれる)
②オタクする感情はポジティブなものである
③「ありのままの自分」を受け入れてくれる物語構成
④「みんな」を拒絶するものとしてのオタクへの憧れ
⑤日本国民総オタク化社会
オタクに対するまなざしの変化
今でこそオタクに対してポジティブな印象があるとはいえ、少し前まで状況は違ったように思う。
「ぼくたち、付き合い出してもう3年か、ねえ、サファイア・・・・・・。きみは、僕のヒロインだ。宇宙怪人と戦う女だ。それに美しい。怪人どももきみにはいちころさ」
眞野は『踊る大捜査線』(1997)が大好きで一年に一度は見返すのだが、このドラマでのオタクの描かれ方はひどい。「第5話 彼女の悲鳴が聞こえない」においてヒロイン・恩田すみれはストーカーに暴力を振るわれ、骨折までしてしまう。このストーカーは美少女アニメのオタクなのだが、現実と空想の世界を混同しており美少女戦士とすみれを混同してしまうという設定であった。伊集院光演じるストーカーは太っていてアニメキャラのTシャツ着用、部屋の中にはポスターやフィギュアがいっぱいといういわゆる「キモオタ」としての記号で構成されている。和久さんも青島くんに対し「まさかお前も何かのマニアっていうんじゃないだろうな」と発言している。90年代の「オタクは気持ち悪く、犯罪者予備軍である」という認識が反映されているといえるだろう。
その後このオタクへの厳しいまなざしは『電車男』で緩み(しかしこれは「女性を救った」という善行により「マイナス」から「普通」になった、という「物語」である。)、芸能人の中にワンピースなどが好きなことをアピールする「自称(?)オタク」が増え、という段階を踏んで今がある、気がする。また、「絶対的な正解」が失われ、むしろユニークであることに価値が生まれる時代になってきたことも関係があるだろう。このあたりももう少し考察してみたいが、脱線しているので本題に戻る。
「オタクを描いたコンテンツ」の魅力
そう、本題だ。なぜ今、「オタコン」が増えているのか。その魅力とはなんなのか。眞野なりに考えてみた。
①オタクは読者(視聴者)よりも下等な存在であり、かつ謙虚である(ように描かれる)
オタクは、己がオタクであることに一抹の後ろめたさを感じている。いや、本当にオタクがそのように感じているかは一概に決めつけることはできないが、少なくともこれらのコンテンツの多くで主人公は劣等感やコンプレックスを抱いているように描かれているのである。
もちろん自分のしている行為に対するプライドや、確固たる自信のようなものは見え隠れする。しかし、自分たちが「一般人」からどのように見られているかを省みた時のことを冷静に分析できてしまっており、結果的に卑屈になる。そのような姿は一種の「謙虚さ」として目に映り、好感へと繋がるのではないだろうか。
またオタクは自分の持てる全てを愛するものに捧げている。それは時に滑稽なものにも見えうるのだ。
例えば『推しが武道館いってくれたら死ぬ』のえりぴよは定職につかないフリーターである。そしてアルバイトで稼いだお金を全て推しに費やしているため、学生時代のジャージしか服がないという徹底ぶりである。また、彼女はグループの中でも不人気なメンバーである舞菜を推しているため、一日に何件も名前を変えてブログにコメントをするなどの工作をしている。
これらの行為はオタク当事者以外から見ると理解不能である。同じCDを何枚も買うなんて勿体無いし、服装に気を使わず、就職もしていなんて社会に適合できているとは言い難い。そんなオタクたちよりは一般的な視聴者、読者のほうが社会に適応しているという点では「上位」に立っている、ように思われる。そして自分のほうが上位に立っていると思わせてくれる対象のことを、人は好むのだ。
②オタクする感情はポジティブなものである
オタクたちは、自分の「推し」を無条件に愛する。たとえ全世界に「NO」を突きつけられても、己が「キモい」と言われても、「推し」は絶対的に「推し」である。世間体は気にしつつも推しへの感情は変わらない。そこにあるのは無償の愛なのである。
先述した『推しが武道館いってくれたら死ぬ』の不人気アイドル舞菜はその純粋な性格ゆえに自分を推してくれているえりぴよに対して素直に接することができず、塩対応をしてしまう。その塩対応ぶりは有名であり、オタク仲間からもえりぴよに対してつっこみが入るのだが、そのときに彼女が言い放ったセリフがこれである。
だってほら 舞菜は生きてることがわたしへのファンサだから 生きてくれてさえいればいいから 同じ時代に生まれたこと そして舞菜のご両親の出会いに感謝
推しも尊いかもしれないが、本当に尊いのはこの親にも劣らぬ無償の愛だ。そしてこの圧倒的な「YES」にはポジティブな力がある。「オタコン」にはこの世の中を照らす光が満ちているのだ。
③「ありのままの自分」を受け入れてくれる物語構成
「オタコン」の多くでは、内面は成長はすることはあれど、オタクという性質はそのままでより良い人間関係を築いていく構成がとられている。
例えば『海月姫』において黒髪ひっつめ三つ編みでスウェットばかり着ているヒロイン月海は見た目や言動、全てがオタク的であり、男の人に受け入れられる容姿ではない(もとのビジュアルが悪いというよりは身だしなみができていない状態なのだ)。
しかし、最終的には想いびとである「お兄さん」に
できるよ月海さんなら いまやっとわかった 君が月海さんだったんだね
と、全面的に受け入れられ、プロポーズまでされている。お兄さんは美しく変身した「アフター月海」を好きになり、その後月海の本性を知ってもそれを受け入れる、という入り方だが、美少年・蔵之介に至っては激ヤバだったころの月海のことを好きになってしまっている。
また、『トクサツガガガ』において、仲村は最初特オタであることを周囲にひた隠しにしていたが物語を通じてオタク仲間を作ることに成功している。(ドラマ版のナレーション、初回は「彼女が特撮オタクであることは誰も知らない」だったのにいつのまにか「一部の人間しか知らない」になっていて泣いた。)また、「特オタだからこそ」弱い人を見過ごすことができなかったりして周囲からの評価が上がっている。
オタクをを受け入れてくれる物語は、主人公を通じて我々のありのままを肯定してくれるのだ。
④「みんな」を拒絶するものとしてのオタクへの憧れ
オタクは大多数から拒絶されるかもしれないが、しかしそのときオタクもまた大多数を拒絶しているのである(ニーチェ的なことを言ってしまった)。
『トクサツガガガ』の仲村は特撮に自分の持てるリソース(お金・時間)を使いたいがために、「みんな」を敬遠している。会社での飲み会、休日のバーベキューや同僚とのお出かけ、残業への付き合いを極力避けようとしているのだ。
まあただ仲村はそれでも「みんなと適応している風」をどうにか醸し出したい、「みんな」とうまくやっていきたいという希望がゆえに苦戦し、そしてなんとかそれに成功していると言える。
しかし『海月姫』のオタク軍団「尼〜ず」はどうだろう。
そもそも「尼〜ず」のコンセプトは「男を必要としない人生」というものであり、何らかのオタクである女子であることを条件にメンバーになることが許されるのである。逆に言えばこれは「男」「男を必要としている人」「オタクでない人」への拒絶である。
たとえば「おしゃれ女子」に見える存在である蔵之介(実のところは女装した美少年だ)は、下宿に遊びに来ただけで
その...ハッキリ言わせて頂きますと...みんなあなたと仲良くなりたいとは特に思ってないと(中略)もう天水館にはいらっしゃらないでください
と言われてしまう。これは逆差別であるといえよう。
『海月姫』は顕著な例ではあるが、オタクが「みんな」に「NO」を突きつける存在であるという一面を持ち合わせていることは確かである。そして実はオタクでなくとも「みんな」に疲れてしまっている人は多い。だけど「みんな」とうまくやっていかないと生きづらいので、どうにかやっているのである。そんな我々にとってオタクの生き様は、ある意味うらやましいものなのだ。
⑤日本国民総オタク化社会
まああとはこの時代、程度や対象に差はあれど、なんらかの「オタク」になっている人が多い気がする。なので「オタコン」は、受け手に対し「自分のことだ」と思わせる力があるのではないか。
これらの理由から、いま「オタコン」に対する需要は高まっていると考えたのだけど、どうだろう。
つらつらおもいつくまま書いていたら4000字を超えてしまった。ここまでもし読んでくれているかたがいらっしゃったら本当にありがとうございます。
学生からスマホだけで出来る副業まとめ!
私自身、バイト禁止の学校に通っています!
なので、月の小遣いだけでやりくり、、、
正直きつい!もっと遊びたい!
こんな悩みは私だけじゃないはず、、、
というわけで、、以下の記事をお勧めします!
テーマは『学生の副業』について
大学生はもちろんのこと、専門学生や高校生も参考にしてもらえる内容にするつもりです!
皆さまに本当におすすめしたい副業を紹介していきます!
________________________
副業を紹介する理由
働き方改革をご存知ですか?
近年厚生労働省が提唱している、労働者が柔軟な働き方を実現させるべく行われている改革です。
その改革に準じて、副業の解禁が2018年に行われました。
ソフトバンク、サイバーエージェント、リクルート、みずほ銀行などの大手企業が矢継ぎ早に副業を解禁していたことから話題になりましたね。
今後も働き方改革が進み副業が解禁されていくことを予想すると、将来のキャリア選択の幅を広げるためにも自分の市場価値を高めておく必要があります。
そのためにも学生のうちから副業に触れていただきたいと思い、今回紹介するに至りました。
そもそも副業ってなに?アルバイトと何が違うの?
副業の定義は難しいですが、本業以外で収入を得ている仕事とでも思っておいてください。
学生の本業は勉強ですが、収入を得るという点ではアルバイトを本業と考えていいでしょう。
アルバイトは出勤日に働いた時間に応じて報酬が支払われますが、対して副業は基本的に時間や場所に制約がなく、成果報酬型です。
ではアルバイトとは別に、学生が副業をすることのメリットを紹介します。
副業のメリット
・隙間時間に稼ぐことができる
・時間や場所に制約がないため自分の裁量で仕事を進められる
・人間関係に気を遣う必要がない
・スマホ、パソコンだけで仕事が始められる
・飽きたらすぐに辞められる
・初期費用がほとんどない
・将来の市場価値を高められる
副業のメリットの共通点はストレスフリーにあると思います。
やりたいときにやり、休みたい時に休む。全てが自分の裁量で決められます!
勉強 部活 サークル 飲み会に就職活動と多忙な日々を送る学生が、スマホさえあれば手軽に始められるというのも魅力的ですよね!
ただし、副業の種類によって得られる収入は異なるということに注意しなくてはなりません。
最初は24時間働いて収入0円なんてざらにあります。副業には根気が必要です。
しかし、続けていけば絶対にアルバイト以上の収入を稼ぐことができるのも事実です。
副業のメリットと注意するべき点についてお話ししたところで
本題である副業の職種について、それぞれ紹介していきたいと思います!
目次
①クラウドソーシング
②モニター
③転売(せどり)
④YouTuber(ユーチューバー)
⑤スキルを売る
⑥アフィリエイト
まとめ
①クラウドソーシング
クラウドソーシングは、インターネット上で企業や個人のクライアントが不特定多数の人に向けて委託している業務を受注して行う仕事です。
その主な仕事内容はアンケートやレビュー、データ入力のような軽作業から、記事や資料の作成、専門知識を持つ人向けのプロジェクトまで様々です。
案件の幅広さから、映画や漫画など自分の好きなジャンルの案件を受注することや、ライティングなどの自分の得意な仕事を見つけて経験を積むことも可能です。
始め方はとても簡単で、クラウドソーシングサイトに登録するだけで仕事を受注することが可能です。クラウドソーシングサイトは Crowd Worksと ランサーズ の2つが主流となるので、最初はどちらか一方を選んで始めると良いでしょう!
ちなみに私が最初に始めた副業もこのクラウドソーシングです。
経験者として正直にお伝えすると、収入は最初の1ヶ月なんて雀の涙で、1万円稼ぐまでに2ヶ月以上かかりました。
しかし、着々と案件をこなしていくとクライアント側から依頼が来るようになり、どんどん稼げる仕事なのでやりがいを感じることもできます!
こんな人におすすめ!
✔︎こつこつ頑張れる自身がある人
✔︎パソコンに触れる機会が多い人
✔︎専門的なスキルを有している人 ex)プログラマー、Webデザイナー など
②モニター
モニターは、基本的には企業の案件を受注して、アンケートに答えたら謝礼としてお金がもらえる仕組みになっています。
モニターの仕事内容は様々で、スマホを使って1分以内に回答が済むような簡単なものから、メーカーが開発した新商品を商品化する前に試してアンケートに答えるものなど幅広いです。
モニターを始めるなら、まずはマクロミルやリサーチパネルに登録して案件に目を通すことをおすすめします。
内容によって謝礼の金額は大きく変わります。
ただし、単価の高い人気な案件は抽選となることが多いため、モニターで継続的に収入を得るのは正直のところ難しいです。
僕は月に5,000円が限界でしたが、お小遣い稼ぎのつもりで始めるには最適の副業だと思います!
こんな人におすすめ!
✔︎スマホでお小遣い稼ぎしたい人
✔︎通学などの空き時間を無駄にしたくない人
✔︎まずは簡単な副業から始めてみたい人
③転売(せどり)
転売は皆さんご存知でしょう。商品を安く仕入れてネットで高く売るという単純なビジネスです。最近ではAirPods Proの転売が話題になりましたね。
この転売ですが、一時的な収入を得るのは簡単なものの、実は安定した収入を継続的に得るのは簡単ではありません。
転売を副業にするには、トレンドを勉強すること、抽選やインターネットで人気商品の購入に成功すること、適正価格を理解することなどの条件を満たすことで、やっと安定した利益を出せるようになります。
ただ、転売は自由な時間の多い学生には非常に向いている副業です。人気商品や品薄商品の入荷チェックは定期的に行わないとライバルに負けてしまい購入できません。
比較的自由な時間がある学生の今だからこそ、転売を始めてみてはいかがでしょうか。
こんな人におすすめ!
✔︎ネットショッピングが好きな人
✔︎自由な時間が比較的多い人
④YouTuber(ユーチューバー)
続いて紹介するのはYouTuber、言うまでもなく人気の職業です。副業という観点で考えても非常に魅力的な仕事です。
今の時代、AIに奪われない仕事の需要が高まっていますが、YouTuberもその1つにあたります。
Googleアカウントを所持していれば始めることができるうえに、自身が出演せずともゲーム実況やVTuberを駆使した活躍が可能です。
自由な時間が多い学生にとって最適な副業の1つだと思います。視聴者も同世代が多いですしね!
注意しなくてはならないのは、収益化するためには⑴過去12ヶ月間の動画視聴時間が4,000時間以上であることと、⑵チャンネル登録者数が1,000人以上であることという2つの条件を満たしている必要があります。
また、参入障壁が低くなっていることにより当然ライバルもたくさんいます。
その中でこれらの条件を満たすためには、他のチャンネルとの差別化を図らなくてはなりません。あと根気よく動画変換を続ける必要も。
こんな人におすすめ!
✔︎根気よく続けられる人
✔︎動画編集ができる人
✔︎クリエイティブな発想を持てる人
⑤スキルを売る
自分の特技・趣味・スキルを活かした副業ができるのをご存知ですか?
ココナラというサイトでは、"モノではなく自分のスキルに" 値段をつけて売ることができます!
また、タイムチケットというサイトでは、自分の時間に値段をつけて売り出すことができます!
スキルがなくては副業として成立しませんが、中には恋愛相談や占いなど、アイデア次第で何でもできるという魅力もあります。自由に自分を営業にかけてみてください!
こんな人におすすめ!
✔︎需要のあるスキルを持っている人
✔︎自分の市場価値を知りたい人
⑥アフィリエイト
こちらが最後の紹介になります。
アフィリエイトとは、成果報酬型の広告活動のことです。
その仕組みを流れに沿って簡単に説明すると
⑴アフィリエイトサイトに登録し、審査に通る
⑵SNSやブログに企業サイトへのリンクを貼る
⑶閲覧者がそのリンクをクリックする(アドセンスアフィリエイト)または経由して会員登録や商品購入などのアクションをおこす(ASPアフィリエイト)
⑷リンクを貼った人は成果報酬として広告収入を得る
キャラと恋するガチ恋女オタクのメリットと喜悲
※私は二次元オタクであり、「同担拒否」「推し」「ガチ恋」等、これらがアイドルオタク界隈の用語がルーツであることは承知しているのですが、今回は「非現実的な対象への恋愛感情」ということをメイン扱っているので、わかりやすい単語として全文通して使用しています。ご了承ください。
私は夢女子で、多分ガチ恋って奴です。
おまけに同担拒否で、独占欲もかなり強い。
しかも二次元のキャラクター相手です。
「え、二次元…?キャラクターに恋するとかマジでキモい」
そんな声が聞こえてきそうですが、これはあえて最初に言わせていただく。
んなこた言われなくてもわかってんだよ!!!!
と。
自分が気持ち悪いのは百も承知です。
本記事は、そういう方ではなく、「実はガチ恋なんだけど、周りに笑われそうで話せない」「ガチ恋で同担拒否だけど、一部の人のせいでイメージ悪くて大々的に言えない」「もしかしてこれってガチ恋…?」っていう隠れガチ恋orガチ恋予備軍の乙女のために
「自覚あって人に迷惑かけないならどんどんガチ恋しようぜ!!!」
という主旨で書いています。
あと、女オタクだけど女オタク界隈に馴染めない、はぐれ女オタクの与太話も少し。
気になる方はどうぞ、読んでいってくださいね。
目次
自分をガチ恋同担拒否と認めるまで
ガチ恋で同担拒否な自分を受け入れたら楽になった
女オタクが苦手な女オタクたちへ
同担拒否な私の心中
まとめ
自分をガチ恋同担拒否と認めるまで
私は、以前は自分のことをガチ恋だと思ってませんでした。むしろ、嫉妬深い自分が嫌いで仕方なくてそんな感情をひた隠しにしていました。
「私はガチ恋じゃないし、同担歓迎だよ〜〜〜」って本心をごまかして、推しが同じ人のツイッターとかチェックしてたんです。でも、そうしてると、次第に心に暗い感情が溜まっていったんですよね。私、自分で思ってたより心が強くなかった。
で、ある日突然「あ、これ無理だわ」ってなって。見るのやめました。
で、ガチ恋な自分を潔く受け入れました。
私、自分以外の知らない人が自分の推しについて話してたりするの無理だわって。夢小説は読めるけど、書いた人のツイッターは読めない、みたいな。
そして、ツイッターで、誰もフォローしない、誰からもフォローされない非公開アカウントを作り引きこもりました。
ガチ恋で同担拒否な自分を受け入れたら楽になった
ガチ恋同担拒否を受け入れると同時に、夢小説をめっっっちゃ書きました。死ぬほど書きました。
公開するとか考えると自意識が邪魔するので、iPhoneのメモ帳や鍵ツイッターでひたすら。
地の文書くのめんどくさかったらセリフだけとかでもとにかく書く。思いついたらメモる。
書き上がらないものの方が多いけど、書きあがったもののごく一部を、友人に見せたりもしました。
今でも書いてます。ストレス発散になる。
でもそのおかげで、自分が推しに何を求めてるのか、何故その推しのことが好きなのかと言うことを言語化できるようになったし、それらを通して「自分が他者に求めがちなもの」も見えてきたんです。
だってなあ、何本か書いてると、だいたい最終的に似たような展開になるんだよ!!!!😂😂😂😂
なぜこうなるかって言うと、自分が好きになるキャラクターってのは、自分の理想や願望、あるいは弱い部分を投影してることが多いからです。嫌いなキャラもしかり。
だから、ガチ恋の感情を認めることで、自分を見つめ直すことにもつながったんです。
だからね、たとえ対象が二次だろうと三次だろうと、これは恋愛感情だって自覚をして、それが自分を投影してるんだって自覚さえあれば、ガチ恋はガンガンやればいいと思う。
ガチ恋って、特に二次元は決して実らないって側面もあるけど、逆に言えば妄想の中で何かする分には現実ではだれも傷つけないで済む。無敵で安全。予測のできない行動でかき乱されないしね。
妄想の中なら推しと喧嘩しても大丈夫だし、死別ネタ書こうが平気だし。このネタ、なんで書きたくなったんだろう?ってあとから考えると、だんだん自分が見えてくる。自分が整理されていく。
実際の恋愛でもなんでも、感情を揺さぶられて、それをさらに自分で受け止められると、人って成長できるんですよ。
ただ、リアルでそれをやろうと思うと、相手が傷つくリスクがあるし、自分もダメージを負う。
その点、ガチ恋なら、自己の内面世界で完結しているものだから、安全な場所で自分の感情と向き合えるし、好きになる相手に自分が何を求めてるのかもわかる。
適切な自己理解は、人生が生きやすくなります。その点において、ガチ恋は、すごく安全なんですよ。
ついでに妄想消化して癒されるし萌えるし、一石二鳥✌️✌️✌️
あと、推しの死にも向き合えるしね……😭😭😭
ちなみに、私は超原作厨なので、一時期は「推しはこんなこと言わねえよ!!!」って二次創作にありがちな自己矛盾に陥って死んだりもしました。
でも、友人に「二次創作って基本的に満たされない感情の発露だから、キャラが多少違ってても書きたいもの書いたらいい」って言われて救われました。
っていうか本当にこの友人、夢女子でもないのに私の夢小説読んで感想くれる女神みたいな人なんですよ。いつも本当に感謝しております。
ちなみに「妄想と現実の区別がつかなくなりそう」って思うかもですが、実際は真逆ですよ。ちゃんとガチ恋な自分を認めて受け入れれば、むしろだんだん区別が付いてくる。
私は、リアルでも惚れっぽいし、ガチ恋は性分だし、多分やめられない。でも、認めたおかげで理性がちゃんと育ってきて、分別がつけられるようになりました。
推しの好きな部分を言語化できる…という、オタクとしての物心もついてきました。
ちなみに現実には旦那がいますけど、二次元の推しもどっちも大好きです。そして、旦那と推しそれぞれ求めてるものが違うっていうのも、ちゃんと自分でわかってます。
不倫はダメだけど夢小説ならオッケーだからな👌
私も今や、いつでも作品世界に没入して疑似体験まがいのことできるから、オタクが楽しいです。
それに形は人それぞれ。別に夢小説じゃなくても、夢絵でも、コラージュでも、手紙でも。あと、聖地巡礼したり、日常生活でデートの妄想するのも、結構楽しいよ?
▼ちなみにこの記事を書くきっかけになったnoteはこちら。こんな感情的な私の記事よりはるかに冷静に優しくかつ丁寧にガチ恋を肯定してくれてるのでオススメです。笑
女オタクが苦手な女オタクたちへ
ここから先は、女オタクとしての私の個人的な価値観の話になるので、少しデリケートな話になります。
ごめんなさい、ほんと、愚痴も入ってるので、攻撃する意図はないんですが、不快になったらすぐ読むのやめてください。
*
私は腐女子、夢女子両方の属性持ってる雑食オタクです。根っこは夢女子、推しの絡むNLは地雷、推しの絡むホモはOKというスタイルです。
ただ、女オタク界隈って、腐女子と夢女子におーーーーっきな溝があるように見えるんですよね。両方こじらせてる人もいますけど、基本的に住み分けしてる。
腐女子の中には「夢女子キモい死んで」って言う人もいれば、夢女子の中には「腐女子ムリです」って言う人もいる。
(あ、ガチ恋の人には腐女子むりな人多いと思います、すみません。そのあたりは配慮します。ぼくわるい腐女子じゃないよ)
「誰かの萌えは誰かの萎え」であり、逆も然り。もちろん住み分けは大事だと思うんです。お互いが快適に過ごすために必要なことだと思う。でも、上に書いたみたいな互いをdisりあう言葉を見るとすごい嫌な気分になるんですよね。まあいい気分する人はおらんやろうけど。
そういう事情を見てると、夢女子と腐女子のキメラは、どちらかに相対する時、必ず半分ずつ隠し事してるみたいな気分になるんですよねえ……。
だから、それがイヤで、住み分けができなかった私は、引きこもることで自衛することにしました。
上にも書いたけど、一人ツイッター鍵アカウント作りました。
で、一人ツイッターやってみて思ったのは、自分の妄想しかないツイッター超快適だし、気分によってホモも夢ネタも鍵だから気にせず書ける。
確かに「一人で何やってんだろ」って虚無に落ちることもあったけど、心ない見知らぬ人の言葉に傷つくこともないし、他人に気使って自分閉じてるより遥かに楽だった。
あと時間が経ってから読み返すと、自分のネタに結構萌えられるという自家発電機能つき……最高かよ。
で、これを通して何が言いたいかって言うと「作品との向き合い方は人それぞれ、合わないと思ったら離れればいい」ってことです。
……まあ、本音を言うと、そりゃ同人即売会とかで楽しんでたり、打ち上げでキラキラしてるツイートとか見るとすごい羨ましいし、オタ友たくさんでオタ充してる人見ると心底羨ましいですよ。
面白いツイートたくさんする作家さんも、ほっこりする作風の作家さんも知ってるし、大好きな人もたくさんいます。本もたまに買うし。そういう人はリストに入れて能動的に見てる。
あと私はだいたい大手CPの逆CPにハマることが多く、かつ逆CP地雷だから「同担が/めっちゃ好きな神絵師が逆CP」という地雷を踏みやすい。
だから私はキラキラ手の届かない場所を羨んで苦しむより、自分を守る方を選びました。少なくとも私は、思ってたより自分が強くなかったって気付いてしまったんです。
地雷少ないと思ってたけど、少ない地雷でも当たりやすくて、踏み抜かれた時のダメージがでかいし、あと対人恐怖こじらせてたり、人の感情を吸っちゃう体質だから、女オタク界隈歩いてるだけで「楽しい」より「しんどい」が勝ってしまった。
「このままじゃ、作品すら、キャラすら嫌いになる」と思ったからこその自衛をしたんです。そんなのオタクである意味がない。
正直、ガチ恋も同担拒否も風当たり強いと思う。おまけに腐女子にもなり切れず、夢女子にもなり切れず……だからこそ、私は自分で自分を守りました。
でもそのおかげで、キャラや原作を好きな気持ちを3年間持ち続けられたし、こうしてまた、発信の場でオタク絡みの記事を上げられるようになるまで回復した。
だから、もしあなたが今ハマってる界隈で「イヤだな」って思うことがあったら、無理することなんてない。
好きな作品が同じでも、あなたの作品に対する姿勢を否定されたり、なにかを我慢したり偽ってなきゃいけない場所にはいなくていいと思う。
一番大事なのは「作品が好き」「キャラが好き」っていうあなたのその感性だと私は思うから。
あと萌え語りは、同じ趣味嗜好の友人と共有するのもいいけど、信頼できる聞き上手な友人に聞いてもらうってのでも、案外楽しいもんですよ。
同担拒否な私の心中
なんか、えらそうなこと言ってる私ですけど、内に秘めた感情はほんと、こじらせたガチ恋で同担拒否、まんまですよ。
リアルイベントに行くと、推し被りの有象無象に対しては、否応無しにどす黒い感情が湧きます。
だから、独占欲こじらせて人の痛バッグから缶バッヂむしりとる気持ちも、まあ、わかる。ラバスト無限回収したくなる気持ちも、まあ、やらんけどわかる。
でも、基本的にそれを表には出しません。
見て見ぬ振りをします。余裕があれば「私の推し人気だなあ、嬉しいなあ」と高みの見物決め込みます。
なんでそれができるかっていうと、割り切ってるからです。
自分が過去に恋愛で嫉妬こじらせてえらいことになった経験あるってのもそうですけど、独占欲とか所有欲とか嫉妬とかは、生き物としての仕組みです。
食欲か性欲のどっちかから来てるか忘れたけど、要は本能に由来した、誰にでもある感情なんですよ。
それをどう処理してるかの違いが人によって変わるだけで。人間なんてそんなもんです。
で、我々は動物であると同時に人間という社会動物でもあるから、法律は守らんとねっていう。法律は守ってくんないけど。
あと、恋愛感情はアドレナリン出てるだけだし、時間が経てば勝手に収まるものでもあったりするし……なんて、無駄に達観しすぎですかね……?
と言いつつも、全力で楽しむ時は心臓が脳みそになるので「あーー推しくんありがとう🙏🙏🙏生きててよかった👏👏👏😭😭😭」とか普通に言いますよ。笑
うーん、まああとは、嫉妬してしまうような対象には関わらないのが一番。自分の地雷を踏み抜かれそうな人には近寄っちゃダメ。コントロールできないから近寄らない。その点に関しては、自分を信用しない。
あと、私は自分の推しが他人と被る事より、ジャンルのイメージが悪くなるのがイヤなので、普段はただのファンとして、お行儀よく生きています。リアルイベントで推しの痛バッグを持ち歩く全開オタクを暗い目で眺めながら😌😌😌
(ちなみに痛バッグ、愛と熱意がこもってて好きですよ。私は作れないから尊敬する👏👏👏)
ちなみに私が赤の他人を敵視するのは、対人恐怖から来る自己防衛と認知の歪み、わかりやすくいうと「本当は仲良くしたいの裏返し」なので、友好的に来てくれた人には「うんうん、いいよね〜✨✨✨」ってなるんですよ。案外チョロい。
だから、友人はモロ推し被りしてますが、あんまり嫉妬とかないです。ないことはないけどちゃんと処理できる。それに、見てるところも違うし、「彼女ならいいか」という謎の感情もある。
まとめ
長々とすみません。
ようは自分の感情を整理するのにガチ恋は安全かつ有効な方法だよって言いたかったんだ。
少なくとも、私はガチ恋を受け入れたら楽になりました。
だから、もしあなたも、二次でも三次でも、思い浮かべるだけで頭がぼーっとしてしまうような、淡い恋心を抱く推しがいたら。
それが届かぬ恋と知ってなお、押し込めるのが辛かったら。現実と妄想の区別がつけられるなら、どんどん消化したほうがいい。
「実は私、ガチ恋なんだけど周りには笑われそうだから、黙ってる」っていう人は、そんな「周り」はほっといて、こっそり推しとイチャイチャする妄想でもしてください。それかフィギュアかもちます連れて旅行でも行こう。
その方が絶対幸せだし、成長するし、周りに優しくできるようになるよ。
ただ同担には同担の、それぞれの愛があるから、他人の恋路は邪魔しちゃダメだぞ。お姉さんとの約束だ。
【女オタク】地雷が多い女オタクの呻きと、ささやかな祈り
マイナー嗜好で地雷が多い女オタクが、地雷を自覚して頑張って自衛するけど、限界があるし、やっぱり苦しいと呻いてる記事です。
この記事で、違う嗜好の方に喧嘩を売るつもりはないです。また、友人・知人の好みが私の地雷であっても気遣う必要は全くないです。
「同じ作品好きとして仲良くしてくれてありがとう、これからもよろしくお願いします」という気持ちは変わりません。
本当にただ「こいつアホやな〜〜〜」「自意識過剰やな〜〜〜」と笑ってほしい一心で書いたので、笑ってもらえたら救われます。笑
※筆者は腐女子・夢女子両方こじらせてるので苦手な方はご注意ください。
※念の為、記事末尾に簡単なオタク用語解説を載せています。わからない単語がある場合はご参照ください。
目次
オタクとしての自己紹介
オタクも歩けば地雷を踏み抜く
腐女子として 荒野を生き抜くための術
夢女子として 原作愛と恋心の狭間で
クリアファイルの乱〜店員さんごめんなさい編〜
花言葉の乱〜何故自ら死地に赴くのか編〜
おわりに マイナー嗜好女オタクのささやかな祈り
オタクとしての自己紹介
まず私のオタクとしての属性を記します。知ってる人は読み飛ばしてください。
・原作厨、考察厨
・CP固定系腐女子
・決まってマイナーCPにばかりハマる
・腐女子に加えて夢女子を拗らせている
・おまけに自己投影型
・ガチ恋、やや同担拒否
ざっくり言うと推しのBL同人を読みつつ、推しに恋もしている。そういう複雑骨折気味の心理状態です。
このあたりの話は以下で詳しく書きました。
※読んでもらえると嬉しいですが読まなくてもいいです。
オタクも歩けば地雷を踏み抜く
上で「地雷が多い」と書きましたが、厳密に言うと地雷の数自体は少ないんです。主な地雷は以下の2つ。
・好きなCPの逆
・推しが絡むNL※公式設定以外のもの
これ以外なら概ねどんなに変態だろうが突飛なものだろうが見られます。パロディも異性装も女体男体幼児化もifもいける。キャラ解釈が合っていて自分が萌えられればなんでもいい派。
しかしこの少ない地雷が結構厄介なのです。私の地雷は、大概メジャーCPが当てはまるからです。
つまり地雷の種類は少ないけれど、地雷を踏む確率が高い。
たとえば、界隈を歩くと地雷、推しの絵を漁ると地雷。最悪公式から地雷が飛んできて頭にクリーンヒットすることすらあります。
しかし別に地雷を踏んだからと言って、基本は自衛する。けれど、理性的に処理できることと感情が湧かないことはイコールではないので、踏めば何かしらのダメージを被ります。
腐女子として 荒野を生き抜くための術
まず、一つ目の地雷「好きなCPの逆」について。
これは腐女子としての地雷です。
私はよくマイナーCPにハマります。ここで言うマイナーCPの定義は、大きく分けて2種類です。
①「CPそのものがマイナー」パターン
・マイナーキャラ同士 or マイナーキャラが含まれるCP
・原作で絡みのないキャラ同士のCP など
そのキャラのファンが少なかったり、解釈が突飛なので人口が少ない=マイナー
②「メジャーCPの逆」パターン
人気キャラAと人気キャラBがいたとして、たとえばA×BがメジャーならB×Aは相対的にマイナーになる
私は割とどのジャンルでも②にハマることが多いです。①にハマることもありますが。
何故かというと、これは私の「受けっぽい攻めと攻めっぽい受けに萌える」という捻くれた性癖が原因です。この嗜好のせいで、だいたいのジャンルにおいてメジャーCPが地雷になります。(素直にメジャーにハマったの、某忍者漫画くらいじゃないかな)
つまりどうなるかというと、同じキャラを推している神絵師が逆CPということは多々ある。
「この人の絵めっちゃすき……🙏🙏🙏」→プロフ見る→「あっ……(そっ閉じ)」というパターンを何度経験したことか!!!!!笑
ただ、BLの場合はうっかり地雷を踏んでもなんとか耐えられます。
そもそも、CPの二人をセットで好きになるので、左右関係なく並んでいるだけで眼福です。心に余裕がある時はリバでも可。同軸リバならなお美味い。仮に逆CPだったとしても、作風が好みでキャラ解釈さえ合ってれば(ココ重要)、ちょっと恋愛っぽい雰囲気を匂わせる描写まではギリイケる。
極論、「どっちがどっちに入れてるからわからないうちは左右は決まらない」と自分に言い聞かせています(※私の中では)。
これは、そう短くないオタク人生の中で、好きなCPの供給が少なく、かつメジャーCPがそこらじゅうに溢れている荒野を生き抜くために自然と鍛えられたスキルです。
※勿論、逆CPに捉えられるのを快く思われない作家様がいらっしゃることも承知しています。あくまで個人で楽しむのみで「これ◯△に見えました!」等と凸る事はしません(´・ω・`)
普段は自衛しつつも、絵柄や作風が好みなら逆でも見ちゃうし、時には予期せぬ方向から飛んできたりするし、自衛にも限界があるんだよう……。
でも、逆だろうとそうじゃなかろうと、推しを描いて(書いて)くれる方たちすべてに感謝しているし崇めています。同じファンのキャラでいてくれてありがとうございます🙏🙏🙏🙏
夢女子として 原作愛と恋心の狭間で
次に、もうひとつの地雷「推しが絡むNL」について書いていきます。BLと違って、こっちの地雷は結構厄介です。
私は腐女子ですが、性根は夢女子です。
子供の頃はおとぎ話のお姫様に密かに憧れていたし、小学生の頃は大好きな漫画作品のキャラに会いた過ぎて、物語に自分をねじ込むためのキャラ設定をノートに書いたりしてました。
たぶん、私が乙女心を拗らせずに育ったら、多分乙女ゲークラスタにいただろうと思います。それくらい根っからの夢女子です。
そんな私にとって、BLは嗜好品ですが夢妄想は主食です。ここに関しては非常にデリケートな部分なため、この地雷は状況次第で致命傷を負います。
私自身、推しが絡むNLが地雷な理由は、ガチ恋ゆえの嫉妬心から来るものだと自覚しています。
ちなみに一点だけ補足すると、公式設定は受け入れられるタイプです。夢女子である以前に原作厨なので、すでに出来上がってる関係を壊してまでどうこうしたい、みたいな気持ちは湧きません。
ただし、明確な恋愛描写がない場合は「くっつくまで勝負は決まっていない」というスタンスをとります。(何の勝負だ)
あと、ガチ恋と言っても「自分を見て欲しい」という気持ちもありますが、「何かしてあげたい」という気持ちが強いです。「報われなさすぎるからどうにかして救いたい」みたいな。
でも、キャラによっては原作の解釈を捻じ曲げないと幸せに出来ない奴とかもいるわけです。捻じ曲げて素直になるならまだいい方で、普通の幸せを望まないキャラの場合「そもそもこれは彼にとっての幸せなのか?」みたいな葛藤に陥るともうダメ。最終的に自己矛盾を起こして「私は何もしてあげられない。でも、何でもいいからそばで見守りたいから、推しの部屋の壁や椅子、いやもう家になりたい」と天を仰ぎます。
話が逸れたので戻します。この地雷についてもう少し掘り下げていきます。
※ここから先、「特定CPが地雷で苦しい」という話をします。しかし、そのCP解釈とCPが好きな方を批判する意図は全くありません。
伏せ字にはしていますが、わかる人にはわかると思います。心当たりがある方は不快になる恐れがあるため、ご注意ください。書かずにはいられない我儘をお許しください。
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私は推しとあるキャラの非公式恋愛CPが苦手です。
仮に推しをA、相手の女の子キャラをBとします。
AとBの関係は、平たく言うと戦友です。ただ、作中では恋愛までには至りません。
しかし二人の間には恋愛を超えた絆があり、そこでハッキリと恋愛には至らないからこそ、そうあってほしいと願うファンは多いです。
そもそも作中でくっつかないモヤモヤが二次創作の源でもあるので、魅力的な男女コンビのCPが人気なのは当然の帰結だと思います。実際、公式CP以外ではNLで一番人気なんじゃないかな。
私も、AとBの絆は尊いし熱いし、大好きです。コンビでなら余裕で推せる。
「+」はいい。むしろ大好きです。でも「×」になった途端地雷になってしまうんです。
何故それが地雷かと言えば、先も述べた通り単に恋愛感情からくる嫉妬です。「解釈違い」「原作ではこうだった」と理論武装することもできますが、二次創作の前では水掛け論です。
もちろんすぐ自覚できたわけではありません。前の記事にも「ガチ恋である自分から目をそらしていた」と書いたのですが、この感情を認めるのは、すごく苦しかったです……。自分の醜いところを認めるというのは、すごく体力がいりました。
よって、これに関しては地雷を踏むたびに自分の嫉妬心と向き合わされるので、余裕がないときは結構つらいです。基本的に自衛しますし、心に余裕があるときはスルーもできるんですが、ないときは無理です。
しかも、この二人は人気コンビなので公式からの供給も多いです。二次創作は見ない事で自衛できますが、最新情報を収集するなというのは難しい話で。原作に明確な恋愛描写はないものの、公式からの供給ですらダメージを食う。
そして公式からの供給でそのCP好きの方々が盛り上がると、人口が多いので見ないようにしても目に入ってきます。っていうかこのCPが地雷な人なんていないんじゃないか??くらいの勢いで流れてくるので、「お前らなあ、メジャーCPだからってみんながみんな、それが好きだと思うなよ」と呪詛を吐きたくなってしまいます🤮🤮🤮
いやこれ被害妄想だってわかってます。
完全に難癖なのわかってます。
そもそも私の好きなCPが地雷な人だっていると思う。そもそも夢女でガチ恋って時点でマイナーだし地雷案件だもんね。😩😩😩😩😩
むしろそのCPが好きな人からしたら「何オリキャラとかねじ込んでんの???」「自己投影キモい」とか言われるのわかってるし!!!!!!😩😩😩😩😩
……などとシャドーボクシングを繰り出してしまいます。
ハイ、情緒不安定オタクでーす👋👋👋👋👋
本来、自分の好きなものを突き詰めてれば幸せなはずなんですが、私は自衛しても発散が下手なのでつい溜め込んでしまいます。それを溜め込み続けると苦しくなるのでなんとかこうしてnoteにまとめることで均衡を保とうとしています。
でも、私の基本的な考え方としては、本当は同じ作品とキャラが好きなのに、CP解釈が違うだけで決別とか戦争とか人格否定とか、悲しいなあと思ってます。
実際に私は中学時代、リアル友人とは悉く逆CPにハマるため趣味が合う相手が身近にいませんでした。それでも友人は友人のままでいてくれました。
好きなCPが地雷同士でも、作品と互いのテリトリーを尊重する心があれば共存は可能だと思っています。
そもそも二次創作は大体が「こうだったらいいな」というファンの妄想でしかないです。どれだけ突飛で痛々しかったり、解釈を逸脱していても、作品愛があればそこに正義も貴賎もないし、等しく尊いのです。作品愛があれば。
(え?イナゴ?知らない子ですね。)
夢もBLもGLもNLも同じです。
本当に誤解しないで欲しいんですが「地雷」はあくまで私の心の中の問題なので、この記事を書く事によって他者の作品を楽しむスタンスを強制する意図は全くないという事です。
加えて精神状態に大きく左右されるところがあるため、平気なときは本当に平気です。スルーできます。だから気にせずRTもバンバンしてくれて構いませんし、見たくなかったら引きこもるので。
ぶっちゃけライトに楽しむ層からしたら理解できないかもしれないけど、私はこんな風にのたうちまわりながらも、楽しくオタクをやっています。
情緒不安定で浮き沈みが激しいけど、オタクなおかげで人生は楽しいです。👋👋👋👋👋👋
推しが尊いから頑張って生きていこうって思えるし今日も元気です💪💪💪
*
ここまで読んでくださりありがとうございます。
この先は完全に笑い話です。
ガチ恋自己投影型夢女子(原作厨添え)である私が、思わぬ方向から飛んできた地雷に打ちのめされた拗らせ自爆エピソードを語っていきます。
クリアファイルの乱
〜店員さんごめんなさい編〜
ある日、某コンビニとのコラボキャンペーンでAの描き下ろしクリアファイルが配布されることにななりました。クリアファイルの絵柄は1枚に1キャラずつ描かれているタイプで、ラインナップの中にはBもありました。
キャンペーン開始当日の夕方、近所の某コンビニに立ち寄りました。
私は、はじめAのクリアファイルのみを買うつもりでした。しかし、Aのみをカゴに入れた時、私の中で葛藤が始まりました。
「いや、ここはBも買うべきやろ。コンビ尊いし、クリアファイルホルダーで見開きで並べてやりたいやろ。っていうかAだけあっても見るたびドヤ顔されて腹立つだけやん。Bも買おう」
「いやでもな〜〜〜〜この二人並んでると、ちょーーーーっとだけモヤモヤするねん……つらい……私の中の夢女子がぁ〜〜〜」
私はしばらくその場で立ち尽くしていました。
ふと、カゴをチラ見すると、Aがどこか寂しそうに見えました。何故かはわかりませんが、その時私の中に「この二人を私のエゴで引き離してはならない」という謎の使命感が生まれました。もしかしたら私の原作厨としての心がそうさせたのかもしれません。
結局、私はBのクリアファイルもカゴに入れてレジへ。
正直もう葛藤に疲れてお会計せず帰りたいレベルでした。(※犯罪です)
しかしオタクの神様は私にさらなる試練を与えました。
レジ前にて、心の中の夢女子を宥めつつ、恥ずかしさを押し殺しながら、表面上は何食わぬ顔で、レジが終わるまでの時間をひたすら耐えていました。
レジの打ち込みが終わり、「よし、あとは袋詰めするだけだ」と思ったその時。
「いいですよね!この二人!!!お好きなんですか???」
と、ものすごーくにこやかな顔でレジの女性店員さんに話しかけられてしまいました。
以下、私の心中です。
(え、あ、え???ん〜〜〜???誰に言うてる??あ、私か。嘘やろ??え、いやめっちゃ嬉しそう。っていうか、え?私はそんな純粋な気持ちで買おうとしたわけちゃうよ。最初はAだけ買うつもりやったなんて言えへんよ〜〜〜そんな顔で見んでよ〜〜〜。
っていうか「この二人」ってどっち!?「+」か「×」かで返答変わるんやけど。やっぱ普通に同人誌読んでそうな店員さんやし(注・偏見です)、「×」かなあ〜〜〜だとしたら頷けへんな〜〜いやでもここでそれ言うて何になんねん。とりあえずそこは頷いとこ)
「えっ、あ……………は゛い゛(絞り出すような低い声)」
自分でも、あまりの声の低さにビビりました。
正直「同好の士を見つけた」と言わんばかりの眼差しが眩しくて、その期待に応えられない(かもしれない)自分が嫌で、居たたまれなくて、マジで今すぐ立ち去りたかったです。
その後も少し会話が続きましたが、私は自分の性癖など話せるはずもなく、無難に作中のあらすじを話して会話を濁しました。
今になって思うと、CPであれコンビであれ、店員さんは純粋に嬉しかったんだろうと思います。
実際、うちの近所は男オタクが多いのか、この店ではBが一番減っていました。書き下ろしラインナップはB以外全員男キャラなので、多分ペアで買う人が少なかったのかなと。
だからこそ「この人わかってんな」と思われたのかな……だといいな……でもごめん。私は内心、こんなアホな葛藤をしていたんですよ……。
多分店員さんが私の記事を見ることはないと思うけど、っていうか見られてたら恥ずかしくて死ねるけど、ほんと、なんか、ごめんなさい。なんかもう、ほんと、自分が卑屈すぎてアホすぎて死にたくなりました😩😩😩😩
同時に世界は私が思っているより優しいのかも知れない、とも思いました。
花言葉の乱
〜何故自ら死地に赴くのか編〜
この話は隠しようがないので、もうABに察しがついてる人は「あの発表の裏でこんな風にのたうちまわってたのww」とほくそ笑みながら読んでいただければ幸いです。
先日、AとBがセットで描かれたイラストが公式により描き下ろされ、それがツイッターで流れてきました。
これ自体は非常によくあることで、普段なら鍛えられた私の魂は別に何のダメージもないはずなんですが、この時はいろいろあって結構ダメージを受けてしまいました。
精神的に不安定だったのに加えて、油断もありました。何故油断していたかというと、この書き下ろされた企画というのが、Bの誕生日だったからです。去年はB単体のイラストだったので、心の準備なんて微塵もしていませんでした。
そんな所に突然ペアでの書き下ろしが降ってきたため、脳天ぶち抜かれて「ファ!!!???」となったわけです。
しかも「AがBに花を贈っている」というシチュエーション。
いや別に花を贈るのはいいです。そりゃ相棒だし、親愛の情を込めて花くらい贈るだろうし、あいつはそういうこと軽率にするからな。
ちなみにこの誕生日描き下ろし企画は去年もあり、去年はそれぞれのキャラの誕生日の誕生花を身につけたり持っているという連作イラストでした。今年はアプローチを変えて、ペアになったんだろうと思います。
しかし油断していたところにもろにダメージを受け満身創痍になってしまった私は、友人に助けを乞うように「しんどい」とメールを送りました。
するとすかさず友人は、「白薔薇の花言葉は『尊敬・純潔』だからセーフなのでは?」とフォローをしてくれました。いつもありがとう……。
というか、そう言われるまで私は花の種類が薔薇だということに気付いていませんでした。どんだけ取り乱してんの。
そこで「そうだよね」と納得できればいいものを、花言葉という単語をきっかけに知的好奇心に火がついてしまいました。
「そういえば薔薇って確か本数でも意味が変わったような……」
気づけば私は「白薔薇 本数 花言葉」でググっていました。友人がフォローしてくれたにもかかわらず。
ここまで行くともはや知識があるだけのバカです。
友人からの「調べると地雷踏むかもだから、もうそれ以上は踏み込むんじゃねーぞ!!(原文ママ)」という警告も虚しく、踏み込んでしまいました。(調べてからメールに気づいた)
1本の場合の意味は「一目惚れ」「あなたしかいない」です。まさしく「純粋」の花言葉を持つ白バラ、清らかな見た目にしっくりくる意味です。一本の白バラをプレゼントするというのは意味深さを感じますが、こんなに素敵な意味が付いていました。
引用元:本数によって花言葉がかわる?白バラの花言葉の意味と由来
ン゛っっっっ(自滅)😇😇😇😇😇
この結果を伝えると、友人には「何故自ら死地に赴くのか」と言われました。ぐうの音もでねえ。
企画担当者の真意は完全にはわかりません。もしかしたら、本数によって意味が変わることまでは考慮していなかったのかもしれません。それを考慮すると、花言葉の一つと原作との齟齬が生まれますし。
ただ、この版元はいつもイラストの中に意味を持たせてくるので、考察厨としてはつい深読みしてしまうんですね。
これに対して公式に恨みを募らせるつもりはありません。むしろいつも楽しませてもらって感謝しかないです。
でも感謝の理性とは別に、心が安定するまではイラストを直視できないと思います🌚🌚🌚
あ、いや……安定しても直視できないわ……(※推しを直視できない病)
ちなみに前半は自衛のしようがありませんが、後半は完全に自業自得です。知的好奇心には抗えませんでした……恋する乙女以上に、私は原作厨であり考察厨だったということなのか。
おわりに マイナー嗜好女オタクのささやかな祈り
ここまで読んでくれる人がどれだけいるかはわかりませんが、私がオタク界隈を歩きづらいのは自分自身の問題でもあると思っています。
なぜなら、地雷に遭遇した時のダメージは、精神状態に大きく左右されるからです。生理前とか特にヤバイ。逆に心に余裕があるときは華麗にスルーできます。
だからこそ、上でも散々書きましたが、ここで私の地雷について知っても、友人や知人には気遣いなく、そのままのスタンスでいてほしいんです。
あなたが萌えるのも自由、私がマイナー拗らせて苦しむのも自由ですから。笑
だから、たまーにでいいので、こんなアホなオタクがいるということも思い出して笑ってやってくだされば嬉しいです。
いつか自分にとって適切なスタンスが見つかるといいなと思うし、マイナー嗜好の人もメジャー嗜好の人も、互いを尊重し合って純粋に楽しめるような世界になったらいいなと祈りつつ、筆を置きます。
最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。
山の上のパン屋に人が集まる理由
このブログにはパンと日用品の店「わざわざ」の経営から考えたことを書いていきたいと思っています。ブログ一つ目の記事はまずこちら「山の上のパン屋に人が集まるわけ」
現時点までどうやってわざわざが成長してきたのかを、自分なりにまとめましたので、読んでいただければ幸いです。尚、ここに書いていることは2018年4月現在の考え方で、これからまた考え方は変化していくかもしれません。発展途上ではありますが、お読みいただけると幸いです。
1.わざわざってどんな店?
2009年2月、長野県東御市御牧原。周りには人家がポツリポツリあるだけの山の上の長閑な環境の場所に、パンと日用品の店「わざわざ」を1人で開業しました。
現在、パンは食事パンのみの2種類を焼いて販売しています。カンパーニュは自家製酵母で薪窯で焼き、食パンは微量イーストで長時間発酵させ、ガスオーブンで焼いています。
取り扱いの日用品は、食品・日用雑貨・衣服・靴など2000種類を超え、店内には所狭しと衣食住に関わる品が展示販売されています。
また、オリジナル商品の開発もしており、現在20種類ほどのわざわざオリジナル商品を販売しています。販売は実店舗、自社オンラインストア、キナリノモールへの出店と、3つの店で商品を小売しているというのが、主な収入源です。
2017年に株式会社わざわざを設立し、2018年4月現在スタッフの人数は13名に増え、2017年にわざわざを法人化しました。2009年に1人で始めた時の年商は200万円。法人化初年度の2017年の年商は1億7千万円を超えたというのが現状の大まかなストーリーです。
2.山の上のパン屋に人が集まるわけ
みなさんが口を揃えて同じ質問を投げかけます。「どうしてこの場所でこんな成長ができるんですか?」この疑問にできるだけ簡単に答えることができたのならば、離島・辺境地・過疎化の進む土地で事業を成立することが可能になって行くのではないか?と思い始めています。場所の不利をむしろ有利に変えて、事業を魅力的に伸ばすにはどうすればよいか?それが解けたら最高です。思考を紡いだ結果、現在はこの3つが主な要因だったと考えています。
2-1. 時代に合わせてプラットフォームを変更してきた
2-2. コンテンツの品質向上を常に目指してきた
2-3. 1.2と同時に新しい会社組織を作っていった
自分でこの3つだと答えを出した時に、今後もこれをやり続けないければ失速するということも感じてしまい、それについては少し目眩がしています。笑。それほど、変化に飛んだ9年間だったと言えます。
2-1. 時代に合わせてプラットフォームを変更してきた
プラットフォームとは、コンピューターのオペレーティングシステムなど主に「基盤」を指す言葉ですが、わざわざではその基盤ごと乗り換えてしまうということを、何度も行ってきました。通常、多くの店や企業では基盤の入れ替えは、かなりのリスクを追うためそうそう行いません。それをいとも簡単に乗り換えを行うことで、基盤入れ替え後に大きくバウンドするように成長を重ねてきました。
例えば店です。
2009年2月に移動販売でスタートしたパン屋わざわざ。開始から半年で資金が溜まると同時に、現在の店と同じ場所の「自宅店舗」へとプラットフォーム変更を行いました。当時、駅や交通手段のない辺境地に人を集めることは困難と判断した結果、最初に移動販売で集客してから店舗へ呼び寄せるという戦略を立てていました。また、移動販売前に開業ブログを始めており、移動販売場所へ集客を得る努力を行いました。
そして、自宅店舗をスタートさせるとほぼ同時に、東京都のファーマーズマーケットに出店を重ね、2ヶ月間で撤退。遠方のファンに通販を推し進めていきます。その後はイベント出店を不定期で続けていきましたが、2013年以降は「わざわざ」のアイデンティディ=わざわざ来てくださってありがとうございます!を守るために、ほぼ一切のイベント出店を取りやめました。
その後、2011年に東日本大震災を契機に、ロケットストーブ式薪窯と店舗を建築するために一時的に店をクローズし、2012年3月に店舗をリニューアルオープンさせました。この時点での貯金600万円を全額使ってできる範囲の工事をと業者にお願いし、足りない工事を自分たちで行ったため(ハーフビルド)、予想以上に工事に時間がかかり、9ヶ月間もの間、店をクローズすることになってしまいました。
その後も店舗の内装工事を繰り返し、成長に合わせて変化を続けています。現在の店舗の様子はこんな感じ。9年間で大分様子が変わったことが見て取れます。
このように店というプラットフォームを、移動販売→自宅店舗→イベント出店→実店舗建設と3年足らずで形態を意図的に変えていったことが一つの成長要因であったと考えています。
わざわざは2018年4月現在まで無借金経営をしており、自己資金が少なくできる範囲でやるために、プラットフォームを変えざるを得なかったという側面もあります。ですが、短期で形態を変化させること自体がニュースとなり、お客様に楽しんでいただけ、相乗効果で成長を促したことも事実でしょう。
例えば、情報発信。
開業前からブログをスタートし、一介の主婦がパン作りに夢中になった末にパン屋を開業するというストーリーを作るのが一つの目標でした。毎日ブログを更新し、開業に向けて準備をしながら生活をしていました。順調にアクセスは増え、お店への来店するお客様も増えていったことを覚えています。
開業後しばらくしてから、Facebookの評判が高まっているのを感じ、東京の友人にFacebookはどうなのか?と問いかけると、かなりの人がやっている、みんなFacebookに夢中だという話を聞いたため、早速取り入れることにしました。
この後、世の中はブログの時代からSNSの時代へと突入していきました。スマートフォンの台頭もあり、段々とPCで文章を書いたり更新することに手間がかかることも面倒だと感じていきました。そして、遂に月に何万アクセスもあったブログからFacebook中心のSNSに情報発信を切り替える時がやってきました。
Facebookへのアクセスがブログを超え、反応がよくなりお客様とのコミュニケーションも取りやすいFacebookへの比重が高くなり始めた頃、ブログへの更新を思い切って完全に辞めました。更新の手間がかかる割に、反応も鈍くなり未来が見えなくなったのが理由です。
その後、画像でコミュニケーションを取るツールInstagramの台頭があり、元々、写真へのクオリティ追求を心がけていたこともあったため、すぐにInstagramも始めることにしました。そして、段々とFacebookよりInstagramへの比重が高まっていったのが2015年以降です。
Instagramでは写真がメインとなりますが、ブログ時代から長文を持ち味としていたので、Instagramでも長文を書きまくり、さらに更新の操作性の良さも気に入り、外部のエンジニアに依頼してInstagramからわざわざのWEBを全て同時更新するシステムを作り、Instagram起点のSNS更新のしくみに作り替えました。2015年8月からこのスタイルで全てのわざわざSNSを更新しています。
情報発信のやり方を一つの方法に固執することなく、時代の流れに合わせて柔軟に変化させてきたのも、業績を伸ばす一因となったと確信しています。
去年からLINEをスタートさせ、今年からこのnoteも取り入れていくことにしました。Facebookには翳りを感じていますが、まだ多くのユーザーが使用しており、一定の効果を感じています。Instagramは一時期の加速度的な勢いは消えたものの、コンテンツのクオリティの高さにはやはり一目置いています。
noteを始めたのは、FacebookやInstagramのフォロワーのいまいち反応が悪いマネジメントのコンテンツを充実させるためです。書きたいのにフォロワーの反応が悪いと自分のモチベーションが下がるので、プラットフォームを適正なものへ振ることで、モチベーション低下を解消したいと思ったからです。これは自分のためかもしれません。
インターネットの中のプラットフォームは、移り変わりが早いのですが、昔よりも随分簡単に作られており、気軽に始められるようになったので、これからもどんどん色々なものに挑戦していきたいと考えています。
2-1. 時代に合わせてプラットフォームを変更してきたまとめ
さて、店と情報発信の2つを例にして説明してきましたが、ピンときましたでしょうか?今現在もわざわざでは、意識的に新しいプラットフォーム変更を次々に行っています。
例えば、わざわざのオリジナル商品は「私たちが必要で世の中にないものは作ります」というコンセプトで企画していますが、この指針とは真逆の「無駄以外に何ものでもないもの」というコンセプトで、店舗でしか買えない月刊わざわざという500円で買えるどデカイ写真集をこの3月から販売開始しています。これはこれからのわざわざがどのようにあるべきかを改めて考え直すための、わざわざへのアンチテーゼです。必要から無駄に思い切って舵取りしました。
それから、日常の店「ふつうがとくべつ」を掲げるわざわざですが、この度、おまつり部というイベントを行う部を創設しました。これもふつうから祭りに舵取りしており、挑戦し続けています。だけど、芯の部分は一つも揺らいでいないことが重要です。核にある基本理念「全ては誰かの幸せのために」は、きっちり守り続けています。
プラットフォームを変えるのは勇気がいる行動ですが、芯はブレない。時代背景を読みながら次々と手を打てるスピード感がわざわざの強みであると思います。
2-2. コンテンツの品質向上を常に目指してきた
山の上のパン屋に人が集まるわけ。2番目の理由はこちらだと考えています。これについてはそのまんま、とてもわかりやすい理由です。わざわざは、様々なコンテンツの品質向上を常に目指してきました。
例えば、パン
自分で作ったパンを体に悪いと言って売らないパン屋
開業当初、パンは20種類以上の様々なパンを焼いていました。1人でスケジュール管理しながら、沢山の種類のパンを焼き、ご好評いただいていましたが、段々と自分の労働時間が増え、仕事で疲弊する日が続いていきました。1人で自由に始めた仕事に拘束され続け、家族との時間も少なくなる日々に、これは間違っていると思った時がありました。
一番大きな転機となったのは、常連のお客様でチョコレートパンを沢山買う方が、徐々に太っていったことに気がついた時です。気になって気になって、いつそのパンを食べているのですか?と聞くと、お弁当を食べた後にデザートに食べるとおっしゃったのです。私は思わず購入を阻止しました。体に悪いので買わないでください。自分で作ったパンを体に悪いと言って売らないパン屋。もうめちゃくちゃです。
ですがその時に、パンはデザートではない、食事であるということをはっきりと認識しました。自家製酵母や国産小麦粉などヘルシーで健康志向のパンを焼いていたはずなのに、お客様の体つきが変化していったことに衝撃を受け、自分はそういったパンを一切食べないのにも関わらず、お客様に販売している不誠実に嫌になりました。
過剰な労働で自分の体も悪くなって、人様の体も悪くする。なんの幸せもそこにないことがわかった時に、食事パン2種類に変更し、生産スケジュールを自分の生活に合わせ、人間らしい生活を送ることをパン屋のミッションにしようと誓いました。そこで食事パンしか焼かないと宣言し、段々とパンの種類を減らしていったのです。
お客様は1人2人と減り続け、開業当初から通ってくださった方はみるみるうちにいなくなっていきました。ですが、自分のような「パン=食事」だと認識している人はどこかにきっといるはずと信じ、2種類のパンのクオリティを上げ、SNSでその工夫を訴えることに注力をしました。
食パンは近所の牧場から絞りたての牛乳を毎週取りに行って、微量イーストで24時間発酵でガスオーブンで焼いています。カンパーニュは自家製の小麦酵母で24時間発酵させ、薪窯で焼き上げます。
二つの対照的なこのパンを作り続けることで、製造工程を効率化し、より沢山、そしてよりおいしいパンを焼けるようになったのです。生産効率と品質を同時に上げることに成功しました。現在は全国からお客様が訪れこの2種類しかないパンを大事そうに購入して行ってくださいます。ありがたい気持ちでいっぱいです。
例えば、写真
開業した当初、お店という性質上、美しい写真でPRせねば誰も振り返ってはくれないということはわかっていました。なので、とりあえずNIKONの一眼レフを購入し、見よう見まねでパンや店の写真を撮り始めました。最初は一眼レフにしただけで、写真が一段階クリアになったような気がして満足を覚えましたが、料理系の人気ブロガーのサイトなどを徘徊していると、自分より腕のいい人が五万といることがわかりました。そこで海外の料理ブログなどを見回り、いいと思った構図は真似て、兎に角1日に最低10枚はシャッターを切ろうと決めて、ブログを更新していました。多い日は1日に100枚ほど撮っていた時期もあります。
最初はカメラに慣れることが一番重要だと思っていたので、最初の4年間はレンズやカメラに投資はせず、カメラの機能を完全に理解するというスタンスで徹底的に撮りました。マニュアルでカメラを操作し、撮りたい絵に自分がF値や露出、ISOなどの数値を調節できるように訓練を積みました。その後、ズームレンズでは撮りたい絵は撮れないということがわかり、調べに調べてcarl zeissの50mmのレンズを思い切って買うことに決めました。ここから、carl zeissの虜になりました。
さらに契機が訪れました。海外インスタグラマーの衝撃です。
Instagramを初めて一番驚いたのは海外インスタグラマーのクオリティの半端なさです。自分はやれることを全くやっていなかったと反省しました。ここからは「わざわざの世界観」を作るということを念頭に写真を撮り始めました。しかし、これはかなり悩みました。というのも、あくまでもわざわざは店という業態なため、売上を念頭において活動しなければなりません。アートに寄るとわかりにくくなって売上が下がります。わかりやすく商品やライフスタイルや店舗を紹介しながら、且つ、世界観のある写真というのを模索することになったのです。
さらにカメラに投資します。sony α7IIを購入し、さらにcarl zeissの25mmレンズを買い足しました。これで狭い店内でも広角で撮影することができるようになりました。
友人のアドバイスを受け、さらに現像にも着手しました。これまでもphotoshopで写真の調整はしていましたが、さらに撮った写真をより美しく現像するため、Macbookproを購入し、Lightroomで全ての写真をわざわざらしく現像してから表に出すことにしました。2015年のことです。
世界観を作るための2本柱「日常の切り取り」と「作り込んだ日常」
カメラとレンズと現像の武器を手に入れた後に、写真を貪欲に撮り更新を続けた結果、Instagramのフォロワーが着実に増えていきました。更にその様子をWEBで見たというプロのカメラマンが、入社したいと訪れるという嬉しい出来事があり、めでたく採用に至り、今は社内で2人で写真を撮影しています。
現在、わざわざの世界観を作るために意識しているのは、二つです。一つ目は何気ない「日常の切り取り」で、これは薪窯でパンを焼き山の上で店を営む私たちには日常でありますが、お客様にとっては非日常でしかありません。そのギャップが面白いと思います。
そして、もう一つは「作り込んだ日常」私たちが日々使っているものを、集結させ、日常の様子でありつつも、しっかりと細部まで作り込むというスタイリングを行い、写真で切りとります。日曜日の自宅の食事風景など、写真で撮ることを意識しつつも、ありのままであることを心がけています。
写真のクオリティがあがったことは、疑うこともない事実です。常にコンテンツの品質向上を心がけた結果、現在Instagramのフォロワーは25000人を超えて成長を続けています。
2-2. コンテンツの品質向上を常に目指してきたまとめ
パンと写真を例にとって説明してきましたが、これ以外のコンテンツも意識的に品質向上をさせています。2016年にはお客様が増えたことでウエイティングが続出してしまった喫茶営業を思い切ってやめ、パンの生産量を増やしていきました。結果パンが売り切れることがなくなり、顧客満足度は上がったと認識しています。
また2012年よりオリジナル製品として作り続けている「湯たんぽみたいに暖かい靴下=ウールの靴下」はお客様のクレームを反映し、糸の配合を調整したり、編み方を変更したり、サイズを変更したり、同じ商品でありながら、年々製品をブラッシュアップさせています。
私たちはこの品質向上に対する取り組みを当たり前にやってしまっているので、特に公に謳ってはいません。わざわざ内での仕事は、常にこのように全て改善につぐ改善でブラッシュアップされていっています。それが再訪する楽しみを作っていると確信しています。今後もこの作業を怠らないように、品質向上に努めていきたいと思います!
2-3. 新しい会社組織を作っていった
時代に合わせてプラットフォームを変更してきたということ、そして、コンテンツの品質向上を常に意識し続けてきたこと、と同時に行っていったことがあります。それが新しい会社組織づくりでした。
2017年に法人化するまでは個人事業主として人を雇っている状況でしたが、2014年あたりから組織作りを意識して経営するようになっていきました。社会保険労務士や税理士に業務委託して、雇用や経理のアドバイスを求めていったり、社会的にもよい組織であることと同時に、今までにない会社を作りたいと思うようになりました。
過去を振り返ってみると、私が会社勤めをしたのはたったの3年間だけです。会社のやり方に目を瞑ることができないタイプで、おかしいものはおかしいと言いたくなります。ヒエラルキーのある会社の構造にどうしても馴染むことができませんでした。
社会人になってからの殆どが個人事業主でしたが、個人で仕事をすると小さな仕事しか受けることのできないもどかしさも感じていました。なので、自分が人を雇い始めた時に、できることが広がる楽しさを感じるようになりました。
しかし、雇った人をうまく雇用できない
会社組織の中で、人を雇う経験も、人と一緒に働く経験も殆ど人生の中でしてこなかった私がまず最初につまずいたのがこれでした。雇った人をうまく雇用できない。2011年から雇った人材のうち、およそ2/3の人が辞めるということが続きました。
理由は簡単です。どうしてもうまく仕事を教えることができないのです。自分は要領がよく、勘である程度までできてしまうタイプです。こうやってやりますとやって見せても、なかなかできる人ばかりではありません。1/3の残った人は自分と同じ要領のいいタイプ=器用なタイプの人でした。性格に問題がなくても、技術を習得できないため、どうしても仕事上でうまくやることができずお互いストレスになり、辞めてしまうということが続いたのでした。
その間、悩みに悩み、優しくしてみたり怒ってみたり、丁寧に指導してみたり、様々な教育方法を試していきましたが、どれもうまくいくことはありませんでいた。
自分が作った職場で雇用状態も悪くなく、人気店にもなり始めているにも関わらず人が定着しないことに、ずっと考えを巡らせ、あぁでもない、こうでもないと様々な手を打って右往左往したのが2012年から2016年でした。
2015年、私に妊娠という転機が訪れました。次女を妊娠することをスタッフに告げると、スタッフ(ゴトウさん)も妊娠していることがわかりました。ゴトウさんは2012年に入社して、唯一継続して働いてくれているスタッフでした。その2人が同時に妊娠するということに、激震が走りました。産休までに何とかスタッフを募集して社内を整えなければなりません。
軌道に乗っている事業を捨てるのかどうかという帰路に、夫が会社を辞めてわざわざをやると言ってくれました。よし!よく言った!それならいけると、スタッフを急募し、手っ取り早くパン屋のキャリアがある人と、小売の経験のある即戦力の2人を雇うことになりました。これで安心と思い、2人は産休に入るのですが、、その後、社内はボロボロになっていきます。
この時に、気がついたことがあります。自分のやらせたい仕事は、人のやりたい仕事とは違うということです。自分が忙しい時にやれない仕事があって、それを頼んだとしても、その人はそれをやりたくてわざわざに入ったわけではないのかもしれません。
人には得意不得意があって、やりたいこととやらせたいことは殆ど一致していない。このことに気がついた時に、今までうまく行かなかった理由がわかりました。適材適所ができていなかった。一律にやらせたい仕事をやらせようとした自分が悪かった。
結局、ボロボロになった社内を見るに見かねて、私とゴトウさんは産後まもなく職場に復帰しました。結局、即戦力で雇った2人は1年も経たないうちに辞めてしまいましたが、私と夫とゴトウさんの3人でやり直す新しい門出でもありました。2016年3月の話です。
しごと体験プログラムの構築
産後まもない2人+夫で何とか切り盛りできるしくみはないか?と考え抜きました。やりたいこととやらせたい仕事が違うならば、やりたいことを主にやってもらうしくみを作っていこう。「しごと体験プログラム」のスタートです。
しごと体験プログラムはわざわざに働きに来たいという方を全て、ボランティアで受け入れるというシステムです。いつ来ていつ帰ってもいい、就職希望でもそうでなくともいい。とりあえず1日わざわざで働いてみませんか?と公募したのです。すると、たくさんのメールがきました。わざわざで一度働いてみたい。人手が足りない時に、ボランティアの方々のお陰で業務を行うことができました。本当にありがたかったです。
半年間の運用で、のべ50人ほどが体験してくれました。人間とはこれほど多様性があるのかという実感で埋め尽くされた日々でした。業務はボランティアのみなさんのお陰でなんとかつつがなくまわり、しごと体験で来てくださった方の中で、この人はという方はスカウトして社員登用していきました。
この流れで学んだことがいくつかあります。人間はそう変われない。まずは自分たちにフィットする人材を採用することが重要だ。いい歳の大人に新しい教育を施すことなど殆ど無理。スキル採用をせず、とにかく毎日楽しく働ける気の合う仲間を探すのが採用だと。ここに気がついた時に本を書いて人材募集を行うことを思いつきました。
わざわざの働きかたを自費出版
本にわざわざらしい働きかたを書こう。そしてこの働きかたに共感する人の中から採用をするのだと。年末に一気に書きあげて、1ヶ月半で自費出版したこの本は、1週間で2000冊が完売。その後、増刷した2000冊も完売し、4000冊が世の中に旅立ちました。この本を読んで感想文を送ってもらうことが採用の条件でした。
その後、半年に一度の採用活動を行い、順調にスタッフが増えています。そして、2017年3月に法人化。株式会社わざわざを設立しました。2018年4月現在13人がわざわざで働いています。現在は、新しい社内制度を作り始めています。もっと楽しく働ける職場に。出社が楽しくなるような会社になるのが目標です。
現在わざわざで行なっている様々な制度
自由出勤制度
これは従業員の中のアルバイトさんに与えられた特権です。自由出勤制、それはいつ仕事に来てもいい、いつ休んでもいい制度です。
わざわざのアルバイトには、シフトが一切ありません。アルバイトは出勤したい日数と曜日を勝手に決めることができます。また、明日休みたいという連絡も本日休みますという連絡もLINEに一言流すだけで、勝手に休むことができます。来月から海外旅行に行きたいので1ヶ月 休みますというのも全く問題ありません。
つまりは来ても来なくてもどっちでもいいよと言われています。入社したらこっちのもんです。自分で全部決めてくださいということになっています。アルバイトさんは時給で働いています。そうなれば当然お給料は社員よりも安いことになります。アルバイトの特権とはなんだろうか?と考えた時に「自由」だと考えました。
自分がアルバイトをしていた時に感じていた窮屈は、シフトによって決められてしまう出勤日数でした。出たくても出られなかったり、出たくなくても行かなければならなかったり。風邪をひいても休めない。困ります。
2018年4月現在、わざわざでは5名のアルバイトさんが働いています。週2日来る人、週5日来る人、各自が適宜決めて働いています。扶養に入りたいのでこのくらいまで働きたいと言う方は、ご自分で出勤をコントロールしています。社員はシフト調整という仕事がなくなり、アルバイトさんは自由を手に入れました。最高のシステムだと考えています。
評価しない人事制度
従来の組織では人事部があり、人を査定し評価して、給料やボーナス、昇進を決定しています。わざわざでは「人間が人間を正当に評価などできるわけがない」をモットーに、人事評価を廃止することにしました。
人事評価基準をいくらしっかりと設定しても、どうしても人間の相性や好き嫌いに依存してしまいます。また、人の評価に時間やコストをかけてもそこに明確な正当性はなく、不満も生む場合がでてきます。会社として非生産的な仕事に工数をかけるべきではないと判断しました。人の評価なんて仕事よりも、もっと面白い仕事しよーぜってことです。
では、評価しないでどうやって昇給させるのか?
結論が出なかったので、昇給自体の概念をやめることにしました。全員一律でいいんじゃね?です。元来、わざわざでは「仕事に優劣はなし」と謳っています。(詳細はわざわざの働きかたをご覧ください)社内ベーシックインカムです。売上をあげたものも、裏方として整理整頓を行なったものも、全て仕事としては同等である。という理念の元に、利益をボーナスで分配していく方式を考えています。
2019年3月からこのシステムを開始しますが、新卒で入社しても試用期間を経て2年経過すると、勤続年数が長いものと同等の給料になります。現在、働いているスタッフはこの条件を理解してくれています。これから働く人も入社前にこのシステムを理解することが採用条件の一つになってきます。
長屋式組織図
従来の組織図はトップダウン型のぶら下がり方式です。会社には上下関係が必ずあり、トップが考えたことが下へ下へと伝わるしくみになっています。
わざわざがヒエラルキーのないフラットな組織を作るために、考えに考え抜いた結論が、長屋型組織です。日本家屋の風通しの良さや襖で繋がる部屋と部屋をイメージし、誰もが並列関係で仕事をできる形を模索し続けています。
長屋型組織は部署間の連携がキーとなっています。「全ては誰かの幸せのために」の理念を合言葉に、自分のやった仕事は必ず横にもつながっていることをイメージするようにしています。例えば、パンを焼いた人が売り手やお客様のことまでフラットに考えられるように心がけることが必要です。
また、決定権も部署内で与えることに取り組んでいます。企画提案から実行、失敗、リカバリー、成功の流れも、部署が「勝手」に動き会社にとって有益な仕事をしていく、能動的な仕組みづくりを模索しています。
自分のやった仕事をスムーズに部署を超えて連携していく。自分で考えたことを自分で実行し時には失敗し、失敗した後には共にリカバリーし合いながら、進んでいく。そういうイメージを共に共有するために作ったのが長屋型組織図です。
仕事は与えられてやるものではない。自己で創出するものだ。 平田
名言ぽく書いておきます。笑
2-3. 新しい会社組織を作っていったまとめ
プラットフォームの変更とコンテンツの品質向上は、どちらかというと、お客様の目からも見える変化だったと思います。しかし、会社の内部のことはなかなか見えにくいものがあります。内部がよい状態で仕事ができていなければ、どんなによいサービスでも短期間で破綻してしまうことがあります。わざわざも途中なんども内部崩壊しそうになりながら、今の状態まで進んできました。
結局、当たり前のことになりますが、表側裏側が表裏一体になって、理念に向かって進むことが成長に繋がるのだと感じています。わざわざの今までを振り返ってみると表と裏がバランスよく、コツコツと成長してきたことがわかります。
人材マネジメントは非常に難しく、問題が尽きることはありません。ですが、人間だからこそ面白い事業を作れる気もしています。これからもマネジメントに工夫を重ねながら進んでいきたいと思います。
最後に。
というわけで、山の上のパン屋に人が集まるわけ。
2-1. 時代に合わせてプラットフォームを変更してきた
2-2. コンテンツの品質向上を常に目指してきた
2-3. 1.2と同時に新しい会社組織を作っていった
以上の三つの視点からお話してきました。ここまで書いておいてなんですが、自分でも完璧だとは全く思えないです。現時点での解釈です。なので、多分書き直すこともあるかもしれません。
長くなりましたが、本当に長くなりました。ここまでで文字カウントしたら11000字を超えています。お付き合いいただいたみなさん、ありがとうございます!今回のこのnote「山の上のパン屋に人が集まるわけ」は名刺代りのご挨拶です。これでわざわざの9年間をみなさんに知っていただけたかもしれません。これからのわざわざがどうなっていくか、どうぞお楽しみに!
あ、オンラインストアはこちらから。よかったらご利用くださいませ。笑。
限界腐女子による小説の書き方講座
自カプのPixiv検索件数がサイドンのR18より少ない全ての腐女子に捧ぐ。
目次
はじめに
まずは妄想しろ
次に会話させろ
そして動作を書き込め
たまには引きのカットも入れろ
そして魅せゴマだ
最後に
はじめに
自カプが少ない!自カプがマイナー!
そう嘆いているそこのお前、お前は自カプを増やしているだろうか。
増やしているならこの記事は必要ない。お前が増やした自カプに救われる同カプの人間はきっといる。救われるのが、ひょっとしたら10年後とかになるかもしれないだけだ。
増やしていない腐女子、お前はいったい何をしているんだ?
宗教上の理由で創作活動はできないとか、毎日分単位でスケジュールが詰まっていて推しカプ検索するのがやっとだとか、なんかもうやむにやまれぬ事情があるとかではないのだろう?
自カプの小説を書くことで自身の現実生活が破綻するわけではないのなら、今すぐ自カプを生産するべきだ。
それでも無理だ?
小説なんて書いたことがない?
小説を書いたことがないから小説が書けないのではない、小説を書かないから小説がいつまで経っても書き上がらないのだ。
小説を書け。話はそれからだ。
そのための方法論をここに記してやる。
そんなものがなくても小説は書けるのなら、つべこべ言わずにさっさと書け。
書けないのなら、まずはこの記事を最後まで読め。
お前に日本語読解力が備わっているのなら、そこそこのものは書けるようになるだろうよ。
まずは妄想しろ
お前にとって自カプとはなんだ?
趣味? 性癖? 生きがい? 人生? 哲学? 文学?
なんでもいい。自カプにさせたいことをすべて列挙しろ。
桜にさらわれひまわり畑で迷子になり燃える紅葉の間に消え吹雪の日にでかけたきり帰らない、お前が好きなシチュエーションをとにかく挙げ連ねろ。
できない? ならば最終手段だ。
〇〇をしないと出られない部屋
この概念がここまで市民権を得ていることに、いちオタクとしてオレは深い感慨を覚えている。
それはともかく、まずは自カプをふたりきりにさせろ。
物語を進行するのに主役はふたりいれば十分だ。
お前は自カプの小説を書き、ひいては自カプの生産に貢献したいのであって、登場人物数が数百人をこす歴史大長編を書きたいわけではないだろう。
割り切りは大事だ。
まっしろい部屋に突っ込まれた自カプのふたりがどういう反応をして、どういう会話を交わすのか、さあここからが楽しい時間だ。
存分に妄想しろ。
そして自分の妄想に萌えるがいい。
おっと、萌えるだけ萌えて手が動いていないなんてもったいないことはしてくれるなよ。
お前の頭の中を最も正確に記述できるのはお前だけなのだから。
次に会話させろ
自カプについて存分に妄想、もとい考察はできたか?
自カプが「〇〇しないと出られない部屋」に閉じ込められたらどうなるか、結論は出たか?
出た者も、出なかった者も、ひとまず頭に浮かんだ受けと攻めの会話を書き留めるところから始めろ。
A「セリフ」
B「セリフ」
A「セリフ」
なんてお行儀のいい進め方はしなくていい。
A「せりふせりふせりふせりふ!!!!!!」
B「せりふ?」
B「せりふせりふせりふ?」
A「せりふ!!!」
順番なんてメチャクチャでいいし、ふたりのセリフ量を同じ程度にする必要もない。喋らないキャラを無理に喋らせる必要はない。それでもお前の自カプの間には親愛が、あるいは憎悪が、確かにあるのだろう?
とはいえ、おおよその目安を示すとすれば、ひとつのセリフは長くても200字程度としておくといい。
それを超える長台詞には、合いの手が有効だ。
「西方のトランシルヴァニアではまた吸血鬼が出たという噂です。教会に悪魔祓いを依頼しているのですが、どうも動きが悪い。……あそこには奇っ怪な科学者もいる。名前は――そう、確か」
「フランケンシュタイン?」 <<<ここ!
「…ご存知なのですか?」
「同学のよしみでね。直接の面識はない…学生時代はずいぶん優秀だと噂だったが――いまや奇人、変人の類。聞いた話では夜な夜な墓場を荒らして遺体を掘り返しているとか」
「ええ、ええ。そのとおりです!」 <<<ここ!
「吸血鬼に胡散臭い悪魔祓い、墓荒らしの科学者に――ヴァンパイアハンター?」
「ああ、まったく、この村は呪われている!」 <<<ここ!!
クソ適当な例文ですまんな!
会話とはセリフとセリフを並べただけのものではない。
複数人でひとつのセリフを形成させるという方法も、もちろんありだ。
むしろこの方が会話自体のテンポが上がる。こういった軽口の応酬はオタクも好むところだ。覚えておくといい。
お前がまったく初めて小説というものを書こうとしているのなら、まずは登場人物ふたりのセリフを、50個作ることを目標にするといいだろう。
ひょっとしたら延々と会話が続いて50個を超えてしまうこともあるかもしれないが、なんとか終わらせるのだ。
いい感じのセリフを言わせてオチがついた風を装ってもいいし、未来の自分に丸投げしてもいい。とりあえず今のお前の仕事は会話の応酬を終わらせることだ。
これでおしまい! と物語に終止符を打ってやるのだ。それが小説家への第一歩となる。
そして動作を書き込め
会話文ができた。
これでそれぞれのセリフの前にキャラ名を入れれば、台本SSとしては充分に人前に出せるものになった。
それで満足したのなら、さっさとできあがったSSをpixivに投稿しろ。
お前が投稿することによって、この世に自カプがひとつ増える。こんな喜ばしいことがあるか? いや、ない。
しかしただの会話文では満足できないお前、お前はこの続きを読むがいい。
台本SSを小説の形にするためには作法がある。
ディナーの前に神に祈りを捧げるのと同じだ。何も難しいことではない。
まずは身構えずに読むことだ。
会話文を書いていく中で、お前はこんな事を考えたのではないか。
「この会話の間に、自カプにこんな動作をさせたいな」
動作に当てはまるものは何でもいい。抱き合うでも、キスをするでも、手を繋ぐでも、あるいは殴り合うでも。
会話の応酬だけでは表現しきれない、動作による表現に、お前も薄々感づいているはずだ。
気づいたのなら話は早い。会話文の間に、ふたりが何をしているのか動作を書き込め。
なんでもいい。
座る、立ち上がる、腕を組む、頬杖をつく、頭を振る、歩み寄る、突き放す。
手足の動作だけではない。
口を開く、眉を寄せる、鼻を鳴らす、頬をふくらませる、耳をそばだてる、目を光らせる。
注意するべきは、登場人物の心情を直接的には描かないことだ。
Aは悲しい顔をした。
こういう書き方は、他に何の表現も思いつかなかったときの最後の手段だ。
ではどうするか?
お前は悲しいとき、どんな表情を、あるいは行動を取る?
涙を浮かべる。顔を伏せる。肩を落とす。うずくまる。
どんな表現でもいい。ただ、悲しいという感情を表現するのに「悲しい」という言葉は使ってはならない。
悲しいかどうかは、読者が決めるのだ。
読者に想像させるのだ。
どうしても思いつかないのなら、文明の利器を頼れ。お前の目の前にある箱、あるいは板は一体何のためにあるのだ?
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さて、これでひとまず小説の形にはなったことだろう。
さっさとPixivなりなんなりに投稿するといい。
しかし、今のままでは少々味気ないとお前が感じているのなら…お前には見込みがある。
ここから先の発展編へ進むがいい。
たまには引きのカットも入れろ
映画、ドラマ、漫画、なんでもいい、ビジュアルに訴えかける媒体を思い出せ。
小説を読んだことはなくとも、それらを見たことはあるはずだ。
それらは決して、人物の顔だけを始終大写しにしていたわけではないだろう。
時には風景だけのカットを入れて登場人物たちがどこにいるのか示し、時には人物を俯瞰で写してそれぞれの位置関係を描写する。
そうだ、すべてのシーンには目的があるのだ。
時系列を示す、場所を示す、登場人物の心情を示す、ときにはセクシーなカットで観る者の目を楽しませる。
すべてのシーンには目的がある。
つまり、これからお前が書くすべての文章にはお前の目的が込められていなければならない。
お前がその一文で読者に何を伝えたいのか、読者に何を感じ取ってほしいのかを込めなければならない。
文章に込めるべきは作者の気持ちではない、書き手の意図なのだ。
そして――お前の頭に脳みそが詰まっているのなら、先程オレが言ったことを覚えているはずだ。
悲しいかどうかは、読者が決めるのだ。
読者に想像させるのだ。
ここでも、表現したいものを直接的に描いてはならない。
たとえばAとBの身長差を示すシーンが必要だとしよう。
ここで馬鹿正直にふたりに背くらべさせる阿呆はまずいない。いや、身長差が物語にとって重要な要素で、この先も継続してふたりが背くらべするシーンを入れ、ゆくゆくはラストシーンの伏線となるならまだいい。そこまでするなら、それはシーンの描写にとどまらず物語の構成に関わってくる問題だ。
だが今はそうではない。
古典的で手垢にまみれていることを承知で言えば、Bには届かない高いところにあるものをAがひょいと取ってみせる、というシーンは、ベタではあるが王道的少女漫画展開で、好きな人は好きな描写だ。
ここで、Aが涼しい顔して荷物を取ればAにはクール系、王子系といった属性がつくし、逆にAにもギリギリやっと届く、くらいだとAはわんこ系だったり努力家だったりといった属性が付与される。
すべてのシーンに意味はある。
すべてのシーンで、お前の自カプがいかに萌え、いかに滾るものであるかを読者の眼前に叩きつけてやるのだ。
そして魅せゴマだ
魅せゴマというと漫画用語になると思うが、小説でも同じことだ。
ここまで書いた小説の中で、お前が最も読者に見てもらいたい部分はどこだ?
どこでもいい。クライマックスで思いの通じ合ったふたりが抱き合うシーンでも、青空の下飛んでいく飛行機を見送る受けの横顔でも、攻めが受けのリコーダーを舐めるシーンでも。
風景として美しいかどうかは問題ではない。お前が描きたいと思っているかどうかが問題なのだ。
リコーダーを舐めるシーンが物語の最重要点であるなら、濃密に念入りに執拗にえげつない解像度で描写するべきだ。むしろそこを軽薄に流してしまえば、リコーダーを舐める攻めフェチの自カプ民からは嘆きの声があがることだろう。
腐女子はカプで繋がり性癖で残る生き物だ。
戦友は多いに越したことはない。戦友となる者を見定めるチャンスを、みすみす逃す必要はないのだ。
もっとも見せたい場面は決まったか?
その場面は物語の冒頭か? クライマックスか?
そのどちらかであれば、お前が書きたい冒頭とは相反する描写をクライマックスに仕込め。
お前が書きたいクライマックスとは相反する描写を冒頭に仕込むのだ。
青空の下でハイタッチするラストシーンなら、冒頭では曇天の空を書け。
咲き始めた桜を冒頭で書いたのなら、ラストシーンでは満開の桜吹雪を書け。
そしてついでにタイトル回収をしろ。これはついででいい。なんなら、終盤付近で出てきたそれらしい単語をタイトルとして据えればいい。
クライマックスでのタイトル回収、これもオタクが好むところだ。
もっとも読者に魅せたい場面は、序盤でも終盤でもないお前…お前は作劇というものをわかっている…
イメージするべきは、漫画でよくある見開きぶち抜きの大ゴマだ。
そしてその大ゴマを引き立たせるための、直前までの細かい描写が続くカットだ。
人間、ことオタクは、転調というものに弱い。
それまで続いていた流れからは正反対の流れに変わると、一気に意識がそちらに向く。
もちろん、荒唐無稽で支離滅裂な転調ばかり繰り返せばいいというものではない。
オタクは文脈を大事にする生き物だ。
これまでの流れとは正反対、けれどもベクトルが違うだけで根本にあるものは同じでなければならない。
見開き大ゴマの直前、タメの部分ではあえて読者に負荷を与えろ。適度な負荷は、その後の見せ場をより輝かせる。
そう、適度な負荷だ。
読者に与える負荷は、適切な程度でなければならない。
そしてお前が想像するより十倍、いや百倍は、読者は負荷に弱い生き物だ。
それは話の面白い・つまらない、文章の読みやすい・読みにくいといった問題だけに限らない。
忘れるな。お前が書こうとしているのは自カプの小説だ。
自カプの小説を読みにきたのに、どこの馬の骨ともしれないモブ女が受けに罵詈雑言を吐いている…こんな小説を、お前なら読むだろうか。
いや、わかっている。お前にも言い分はあるだろう。
そのモブ女は、後に改心するか、己のしたことに相応しい罰を受けるのかもしれない。少なくともお前のプロットではそうなっているのだろう。
しかし読者は、お前のプロットなど知らない。この物語がどういう経緯を経てどういう結末を迎えるかなど、知りはしないのだ。
ゆえに、読者は作者が考えている百倍、いや万倍は物語中の挫折描写に弱い。
忘れるな。お前が書こうとしているのは自カプの小説だ。
何はなくとも自カプをイチャイチャさせろ。存分にイチャイチャさせたあとの挫折描写であれば、読者も多少は受け入れてくれる。――多少、ではあるが。
ともあれ、読者に負荷を与え、その後に開放感を与えるというギミックは、上手く働けば爽快なものだ。
働かなかった場合? 知らんのか、それを人はオナニーと呼ぶのだ。
おわりに
これで一編の小説が書き上がったことだろう。
まずは、おめでとう。
この世に自カプが増えたことに、そしてお前が小説家となったことに。
さあ、書き上がった小説をPixivに投稿するがいい。小説は他人に読まれて初めて完成するのだ。
しかし、オレは未来人なので予言しておくが、お前が初めて書いたその小説は、びっくりするぐらい読まれない。感想なんてひとつもつかないし、ランキングなんてかすりもしない。
だが、読者はゼロではない。
お前が書いた小説を、たとえどんなに拙くとも読む人間はいる。それは、自カプを愛する同好の士かもしれないし、検索でたまたまたどり着いただけの人間かもしれない。
だが、その誰かは必ず、程度の差はあれ、お前の書いた小説に心動かされたはずだ。身が打ち震えるほどの感動ではなくとも、ほんのわずかな感情の揺れだとしても。
これまで何の武器も持たずに荒野にぽつねんと立ち尽くしていたお前は、今や小説という武器を得た。数多の腐女子を、紙とペン、あるいはスマホひとつでなぎ倒しうる武器だ。
今はまだお前の書くものはなまくらも同然だ。しかしこれから先も書き続けていけば、その刃は研ぎ澄まされていく。
書き続けろ。刃を研ぎ続けろ。お前が書き続けることで、救われる腐女子は大勢いる――救われるのが、たとえ十年先だとしても。
お前が書く意味は、お前にしか書けない小説を書く意味は、必ずあるのだ。
最後に…この記事を読んで「自カプの小説書くか~!」と思う人間が、ひとりでもいれば幸いだ。
P.S. 中途半端にパルプ小説っぽい文体にしてしまって、その筋の方にはごめんなさい